カルチャー

イヴァンカが指し示す女性の未来はオヤジギャル

イヴァンカが語る女性の未来

トランプ米大統領の娘で大統領補佐官のイヴァンカ・マリー・トランプが来日。この週末のニュース、ワイドショーは、座間9遺体事件の白石容疑者とイヴァンカの話題で持ちきりだ。

多忙なイヴァンカのこと。テレビなど見てるヒマはなかっただろうが、どう見ても自意識の強い人なので、日本のテレビに自分がどう扱われているかは気になるはず。ホテルの部屋で朝食を食べながら朝のニュースを見ていた可能性はある。もしそうだとすれば、イヴァンカがこの猟奇的な事件を知ることになった可能性もある。白石容疑者に対するイヴァンカのコメントを聞いてみたいのだが、誰もそんな質問をしないし(できないし)ちょっと残念だが、それはまあどうでもいい。

重要なのは女性の話だ。

イヴァンカの今回の来日における最重要テーマのひとつが、外務省が毎年開催している国際女性会議WAWへの出席。

この会議の場でイヴァンカは「地球上の女の数は35億人。女性が活躍すれば世界は凄いことになるわよ!アベノミクスはウーマノミクスよ!」みたいなことを話して、世界の女性の活躍推進を訴えた。

イヴァンカが言ってることに目新しさは特にないが、もちろん批判するつもりもない。まったく同感だ。世界の女性はもっと自由に活躍すべきだし、そんな社会が広まれば世界は変わる。

ただ、彼女のスピーチを聞いていて、ちょっと気になったこともある。

それは、世の中の企業人、特に男性のビジネス・パーソンがウーマノミクスをどう捉えているか?というマーケティング屋的な関心だ。

つまり、世界の女性がさらに社会進出して活躍するようになった時に、女性マーケットがどうなるか。それを、多くの企業人はどう考えているかということだ。

女性が活躍してもファッション市場は成長しない

つまり、女性が活躍すれば大きく成長する市場はなにか? ということだ。

たぶん、多くの企業人は「それは女性市場に決まってるだろう」と考えていると思う。この場合、女性市場とは主にファッション、美容、家電など、従来から女性がメイン・ターゲットの市場だと考える人も多いと思う。

しかし、そうではない。

たしかにファッション、美容には女性は金を使うし、家電もいわゆる白物家電は女性が購入決定権を持ち続けるだろう。

そして、途上国の女性が解放されれば、これらの女性市場は爆発的に成長する。

しかし、欧米日本の先進国はどうか?

たぶんファッション業界は大きくは成長できないと思う。何故なら、女性が経済力を持てばブランド品を買うという時代はもう終わっているからだ。

最近、人気声優の竹達彩奈の私服が3万円の服であることがファンに知れ、ちょっとした騒ぎになっている。「高い服を着てる」「金かけてるなあ」との声がファンから巻き起こり、それに対して「若い女性が3万円の服って高くない」とか「3万円が高いとか、女性と付き合ったことないからそう思うんだろwwww」などの反論も寄せられ、ちょっとした炎上騒ぎになっている。

若い女性にとって3万円の服が高いか安いかは意見が分かれるだろう。しかし、個人的な感覚では、それなりに売れている芸能人の私服が3万円というのは、安い。堅実とも言える。が、実は今どきの女子のファッションに対する感覚としては、これが普通なのかもしれない。つまり、ある程度のお金があっても、高いブランドものは買わない。

若い女性だけではない。オトナ女子のみなさんも、昔ほどブランドものは買わなくなったように感じる。仕事用のバッグにしても、20代女子もオトナ女子もマイケル・コースが人気とか、女子高生が競ってヴィトンを買っていた時代をリアルに体験した人間からすれば隔世の感がある。

つまり、昔ほど女性はファッションに金をかけなくなった。特に意味なく高価なブランドものには金を使わない。

たぶん中国人はまだまだブランドものを買うのだろうし、途上国の人たちもこれから買うようになるのだろう。

しかし、先進国においてはファッション市場はそれほど成長しないと思う。

美容市場は成長するがレッド・オーシャン

美容市場は成長するだろう。

こんなことを言うと、ゴリゴリのフェミニストは発狂するだろうが、美しくなることは女性の本能だからだ。

それは、途上国での女性支援をやっている人たちの証言を聞けば分かる。

どんなに過酷な人生を生きてきた途上国の女性でも、一番やりたいことは「お化粧」だと言うし、イスラム文化圏でヒジャブを被る女性も、その他人に見せてはならないベールの中の顔はフル・メイクだ。アシッド・アタックの被害に遭い、顔を焼かれた女性も美容室に行き、メイクをする。

とにかく、女性は美しくなることに価値観が高い。金をかける。というか、金をかけたがる。

昔、ダイエーが「100円化粧品」なるものを売り出したことがある。化粧品の原価はわずかなもので、数千円の化粧品と同じものが100円で売ることができる。というわけで「良いもの安く」がモットーのダイエーが売り出したのだが、さっぱり売れなかった。

成分や効能が同じなら、女性は高い方の化粧品を買うのだ。女性は、100円の化粧品など使いたくなかったのである。

だから、先進国の女性も、ジェンダー平等が進み男女の賃金格差がなくなり経済力がつけば、さらに美容に金をかけるだろう。

この美容のジャンルには、化粧品やエステはもちろんだが、広い意味ではサプリも含まれるし、美容家電というものもある。

僕は10年以上前から「パナソニックは美容家電に注力せよ」と提言してきたのだが、どうもピンときてもらえなかったようで液晶とかプラズマに勝負をかけて会社をつぶしかけた。そのパナソニックも近年、ようやく美容家電に力を入れはじめた。実はパナソニックの美容家電には致命的な欠点があるのだが、この分野に注力し始めたのは正しい。

化粧品は高い方が売れるというのは、美容家電でも同じだ。ヘア・ドライヤーなどパナソニック製でも1000円くらいで買える時代にダイソンのドライヤーは5万円くらいする。実に50倍だがダイソン、人気が高い。実は僕も妻と娘のために買ってしまった。

というわけで、ファッションと違って(広い意味での)美容商品は、まだまだ高い方が売れる市場なので、成長性もある。ただし、そんなことは誰もが分かっていることなので、ここは熾烈なレッド・オーシャンだ。将来は、さらに真っ赤な市場になるだろう。

女性活躍時代のブルーオーシャンとはオヤジギャルである

ところで、(たぶん)多くの企業人が、それも男性だけでなく女性自身でさえ見過ごしているであろう市場がある。

それはオヤジ市場だ。

つまり、オヤジギャル市場である。

オヤジギャルとは、バブル時代に一世を風靡した中尊寺ゆつこのマンガ「スウィート・スポット」が流行らせた言葉で、1990年の流行語大賞も受賞している。

バブル期というのは、日本の歴史上(もしかしたら世界の歴史上)若くてキレイな女性が最強だった時代だ。

その最強伝説を書き綴れば、一冊の本が書けるくらいだが、バブル初期の86年に「男女雇用均等法」が施行されたこともあり、女性活躍推進の時代でもあった。大企業が女性社員ばかり集めて商品開発チームを作ったりしていた。

ブランドものもバンバン売れていた。サンローランとディオールくらいしか知らなかった日本人がイタリア・ブランドを知った。バーもラブ・ホテルも、どんどん女子受けするようなオシャレなものに変わっていった。日本人の誰もがオシャレに目覚めた時代だった。

ところが、そんな時代に登場したのがオヤジギャルである。

オヤジギャルとは、焼き鳥屋とか競馬とか、オヤジしか行かないような場所に好んでいくようなギャルのことである。しかも、そのオヤジギャルたちはファッションにうといダサい女子たちではない。ワンレン・ボディコンの典型的なバブル女子たち。そんな女子たちが、オヤジたちの聖域に進出した。それがオヤジギャルである。

バブル真っ盛りの頃、長谷川慶太郎さんが「麻雀・カラオケ・ゴルフは、おやめなさい」という本を出した。当時、これらはダサいオヤジの象徴だったのだ。

ところが、バブル女子たちはこのダサいはずの領域にまで進出してきた。カラオケに興じ、ゴルフを楽しみ、麻雀はやらなかったが競馬場には行った。女子が来るようになると、カラオケもゴルフ場も競馬場も、女子受けするようにどんどんオシャレなものになっていった。前述の通り、ガード下の焼き鳥屋にも進出してきた。そして、オシャレな焼き鳥屋が増えていった。

こういう流れはその後も続いている。先日、用事があって神戸に行った。それで、関学と神戸女学院の女子学生たちと飲み会をやることになった。関学、神戸女学院と言えば、関西の学生オシャレ・シーンを牽引する大学だ。東京で言えば慶応あるいは青学と聖心みたいな存在だ。そんな女子たちとの飲み会だが、向こうの本拠地なので店のセレクトは女子にまかせた。で、彼女たちが指定してきた店がもつ鍋屋だった。

これは、なにも僕がオヤジだから気をつかってもつ鍋屋にしてくれたわけではない。純粋に、彼女たちがもつ鍋を食いたかったからそうなっただけだ。昔はもつ鍋など女子の食い物ではなかったはずだが、90年代にもつ鍋ブームが起きて、女子が好んで食べるものになった。

このように、かつては男たちの聖域だった場所に、バブル以降はどんどん女子が進出している。

その他、たとえばマッサージ店も昔はとても女性がひとりで入れるような雰囲気ではなかったはずだが、最近は完全に女性ターゲットの小綺麗なマッサージ店が増えている。深夜でも女性のひとり客がマッサージ店に入ってくる。

牛丼屋も王将も、男の客しかいなかったのに、今では女性のひとり客も普通だ。

つまり、女性の社会進出が進むと、それまで男の聖域だった場所にどんどん女性が入り込んでくる。これからの女性市場という意味では、そこがたぶんブルー・オーシャンなのだろう。

まあ、実はこれはバブル以降、30年にわたるメガ・トレンドなので、ブルー・オーシャンと言っても実はけっこう多くの場所が食い散らかされてはいる。とはいえ、ファッションや美容ばかりに着目しないで、なにかまだ女子が進出していない場所はないかを探すのが、企業人の(マーケティング屋の)正しい姿勢だろう。

たとえば、ビジネス・ホテル。女性の社会進出が進めば、出張族の女性も増える。そうすると、女性ターゲットのビジネス・ホテル需要が増える。ビジネス・ホテルもリッチモンドホテルやロハス・ホテルなどは、かなり女性客を意識しているが、まだ決定的ではない。また、多くのビジネス・ホテルはまだまだ男性テイストだ。女性に特化したビジネス・ホテル需要はまだ成長余地はあるだろう。

探せばまだまだそんなジャンルはあるはずだ。

イヴァンカが言うように、女性がさらに活躍する時代になれば、増殖するのはオヤジギャルだ。マーケティング屋はもう一度、オヤジギャルというものに向きあうべきなのだろう。

ビビアン・ハー来日講演 FUTURE LEADERS DESIGN LAB

ビビアン・ハーをご存知ですか。 当時9歳だった彼女は、両親が見せてくれたネパールの二人の男の子の児童奴隷の写真をみてショックを受け、奴隷解放のためのレモネード販売を開始しました。

少女の行動に心打たれた大人たちより、彼女のレモネードスタンドはツイッターで拡散されクラウドファウンディング形式で10万1,320ドルを調達します。さらに父親と共にレモネードを販売する「make a stand」を設立。売り上げの一部を奴隷解放問題に取り組む団体に寄付するSOCIAL GOODなビジネスモデルで大きく社会を変える動きを実践しています。

11月19日、13歳となった彼女の講演を東京で聞くことができます。 FUTURE LEADERS DESIGN LAB http://futureleaders.me

難民少女がラップを夢を叶える映画「ソニータ」

夢を追いかけるなら、たやすく泣いちゃダメさ

「ソニータ」という映画がこの秋、日本でも公開されている。イラン在住のアフガニスタン難民少女ソニータがラッパーになる夢を追いかけるドキュメンタリー映画だが、日本に住む僕らはこの映画にどう向き合えばいいのか、難しい。

そもそも僕ら日本人は、イラクで暮らすアフガニスタン難民の少女が、どのような立ち位置で生きているのかを想像することが難しい。ましてや、そんな少女がラッパーになるという夢を追いかける事の困難さを理解することは、さらに難しい。

しかし、それでもなお、この「ソニータ」という映画を紹介したいと思うのは、たとえ背景となる状況を知らなくても、何かの夢を追いかけている人なら、きっと共感できるし、勇気と力を与えてもらえると思うからだ。

どこの国で暮らしていても、難民の生活は過酷だ。アフガニスタンのタリバンからイランに逃れてきたソンータはパスポートも滞在許可証も持たない不法移民である。難民センターで清掃員として働きながらかろうじて生きている。姉と姉と姪と三人で暮らしているが、家賃が払えずに家を追い出されそうになる。

そんなソニータの夢は有名なラッパーになること。男友達とユニットを組み、音源を作ろうとする。しかし、イランでは女性が歌うことは禁止されている。そんな国で、少女がラップをやることなど論外だ。音楽スタジオも、音源制作に協力したことがバレると、スタジオを閉鎖されてしまうと制作を拒否されてしまう。それでもめげずに、スタジオを回り、ようやく協力してくれるスタジオを見つけるが、費用は1万ドルだと言われる。不法移民のソニータにはとてつもない金額だが、男友達が働いてなんとか工面しようと頑張る。

しかし、そんなソニータの元に、アフガニスタンの両親から結婚の話が舞い込む。結婚といっても、実際には花嫁として売られる話だ。アフガニスタンでは夫側から早嫁の家族に支度金が支払われる。その相場は9000ドル。両親はソニータを結婚させ、そこで得た支度金で長男を結婚させるつもりなのだ。つまり、兄が花嫁を「買う」ために、ソニータは売られようとする。

まだ14歳。そしてラッパーになるという夢を抱いたソニータは、この結婚を拒否するが、両親は強引に結婚を迫る。ここでソニータを密着して映画を撮影してきた監督が母親に商談を持ちかけてしまう。2000ドル払うから時間的猶予をくれという交渉だ。これはドキュメンタリーとしては完全に掟破りで、カメラマンも「ダメですよ。監督」と止めに入るが、監督はお金を払ってしまう。この時点でこの映画はドキュメンタリーではなく、リアリティTVのようなものになってしまうのだが、だからといって映画の本質が損なわれるわけではない。この映画は、何が起きているかを記録した映画では無く、ソニータが夢を追う過程を記録するものだからだ。

そして、時間的猶予を得たソニータはスタジオに入り、音源を制作する。そこからソニータの運命は激変する。どのように変化するかは、ネタバレになるので書かないが、ソニータは自らの意思の力で、夢を実現し自由を手に入れる。

すべての夢を追いかけている人たちに観て欲しい

さて、僕ら日本人はこのソニータの物語にどう向き合えばいいのだろう? もちろん、性差別と闘い自由を手に入れた一人の少女の物語として向き合うことも可能だ。日本で生きている女性たちは、花嫁として売られることもないし、歌やダンスも自由だ。しかし、それでも女性としての生きづらさや抑圧を感じている人には、勇気を力を与えてくれるだろう。

もちろん、そのような向き合い方も有益だ。しかし、僕はもう少し表現というものに、自分を表現するということに、日本の女性たちが向き合うきっかけになって欲しいと思う。

途上国の女性たちに比べれば、日本の女性は自由だし、女性としての権利も守られている。しかし、日本には日本特有の課題もある。それは同調圧力だ。空気を読んで、誰かに忖度して、SNSでの批判を恐れて、思ったことを口にできない。特に女性は、女子コミュニティの中で、上にも下にも突出せず、平均点の範囲で目立たず、しかし無視もされずに生きていこうとする。しかし、そんな状況に息苦しさを感じている女性も多いはずだ。

強力な同調圧力の中で、下を向いて言いたいことも言えない日本の女性たちに、ソニータが突きつけるのは「上を向け。胸を張れ。思ったことくらい口にしろ」というメッセージだ。

今の日本社会では、思ったことを口にするだけでバッシングを受けるリスクはある。しかし、それでもなお、表現したいことがある。そんな衝動を抱え、表現することが大事なのではないか。自由に生きるとは、単に差別や制約の無い社会に生きることを意味するのではない。他人にどうしても伝えたい何かがあり、そのことを伝えること、口にすること。それが、本当の意味で自由に生きるということだと、ソニータはメッセージしていると思う。そのメッセージを受け取るためにも、僕ら日本に生きる女性は、この映画を見るべきだし、ソニータと向き合うべきなのだ。

この「ソニータ」は、サンダンス映画祭2016にて「ワールドシネマ部門 グランプリ」、シェフィールドドキュメンタリー映画祭2016にて「ヤング審査員賞」「ワールドシネマ部門  観客賞」、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 (IDFA)2015にて「観客賞」受賞など、世界各地の映画祭で数多くの賞を受賞している。

日本では2017年10月21日(土)よりアップリンク渋谷他にてロードショー!この映画、ガールパワーも後援しているので、ぜひご覧ください。なにかの夢を追いかけている人には特にご覧いただきたい映画です。

映画「ソニータ」公式サイトはこちら

 

難民少女がラップを夢を叶える映画「ソニータ」

夢を追いかけるなら、たやすく泣いちゃダメさ

「ソニータ」という映画がこの秋、日本でも公開されている。イラン在住のアフガニスタン難民少女ソニータがラッパーになる夢を追いかけるドキュメンタリー映画だが、日本に住む僕らはこの映画にどう向き合えばいいのか、難しい。

そもそも僕ら日本人は、イラクで暮らすアフガニスタン難民の少女が、どのような立ち位置で生きているのかを想像することが難しい。ましてや、そんな少女がラッパーになるという夢を追いかける事の困難さを理解することは、さらに難しい。

しかし、それでもなお、この「ソニータ」という映画を紹介したいと思うのは、たとえ背景となる状況を知らなくても、何かの夢を追いかけている人なら、きっと共感できるし、勇気と力を与えてもらえると思うからだ。

どこの国で暮らしていても、難民の生活は過酷だ。アフガニスタンのタリバンからイランに逃れてきたソンータはパスポートも滞在許可証も持たない不法移民である。難民センターで清掃員として働きながらかろうじて生きている。姉と姉と姪と三人で暮らしているが、家賃が払えずに家を追い出されそうになる。

そんなソニータの夢は有名なラッパーになること。男友達とユニットを組み、音源を作ろうとする。しかし、イランでは女性が歌うことは禁止されている。そんな国で、少女がラップをやることなど論外だ。音楽スタジオも、音源制作に協力したことがバレると、スタジオを閉鎖されてしまうと制作を拒否されてしまう。それでもめげずに、スタジオを回り、ようやく協力してくれるスタジオを見つけるが、費用は1万ドルだと言われる。不法移民のソニータにはとてつもない金額だが、男友達が働いてなんとか工面しようと頑張る。

しかし、そんなソニータの元に、アフガニスタンの両親から結婚の話が舞い込む。結婚といっても、実際には花嫁として売られる話だ。アフガニスタンでは夫側から早嫁の家族に支度金が支払われる。その相場は9000ドル。両親はソニータを結婚させ、そこで得た支度金で長男を結婚させるつもりなのだ。つまり、兄が花嫁を「買う」ために、ソニータは売られようとする。

まだ14歳。そしてラッパーになるという夢を抱いたソニータは、この結婚を拒否するが、両親は強引に結婚を迫る。ここでソニータを密着して映画を撮影してきた監督が母親に商談を持ちかけてしまう。2000ドル払うから時間的猶予をくれという交渉だ。これはドキュメンタリーとしては完全に掟破りで、カメラマンも「ダメですよ。監督」と止めに入るが、監督はお金を払ってしまう。この時点でこの映画はドキュメンタリーではなく、リアリティTVのようなものになってしまうのだが、だからといって映画の本質が損なわれるわけではない。この映画は、何が起きているかを記録した映画では無く、ソニータが夢を追う過程を記録するものだからだ。

そして、時間的猶予を得たソニータはスタジオに入り、音源を制作する。そこからソニータの運命は激変する。どのように変化するかは、ネタバレになるので書かないが、ソニータは自らの意思の力で、夢を実現し自由を手に入れる。

すべての夢を追いかけている人たちに観て欲しい

さて、僕ら日本人はこのソニータの物語にどう向き合えばいいのだろう? もちろん、性差別と闘い自由を手に入れた一人の少女の物語として向き合うことも可能だ。日本で生きている女性たちは、花嫁として売られることもないし、歌やダンスも自由だ。しかし、それでも女性としての生きづらさや抑圧を感じている人には、勇気を力を与えてくれるだろう。

もちろん、そのような向き合い方も有益だ。しかし、僕はもう少し表現というものに、自分を表現するということに、日本の女性たちが向き合うきっかけになって欲しいと思う。

途上国の女性たちに比べれば、日本の女性は自由だし、女性としての権利も守られている。しかし、日本には日本特有の課題もある。それは同調圧力だ。空気を読んで、誰かに忖度して、SNSでの批判を恐れて、思ったことを口にできない。特に女性は、女子コミュニティの中で、上にも下にも突出せず、平均点の範囲で目立たず、しかし無視もされずに生きていこうとする。しかし、そんな状況に息苦しさを感じている女性も多いはずだ。

強力な同調圧力の中で、下を向いて言いたいことも言えない日本の女性たちに、ソニータが突きつけるのは「上を向け。胸を張れ。思ったことくらい口にしろ」というメッセージだ。

今の日本社会では、思ったことを口にするだけでバッシングを受けるリスクはある。しかし、それでもなお、表現したいことがある。そんな衝動を抱え、表現することが大事なのではないか。自由に生きるとは、単に差別や制約の無い社会に生きることを意味するのではない。他人にどうしても伝えたい何かがあり、そのことを伝えること、口にすること。それが、本当の意味で自由に生きるということだと、ソニータはメッセージしていると思う。そのメッセージを受け取るためにも、僕ら日本に生きる女性は、この映画を見るべきだし、ソニータと向き合うべきなのだ。

この「ソニータ」は、サンダンス映画祭2016にて「ワールドシネマ部門 グランプリ」、シェフィールドドキュメンタリー映画祭2016にて「ヤング審査員賞」「ワールドシネマ部門  観客賞」、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 (IDFA)2015にて「観客賞」受賞など、世界各地の映画祭で数多くの賞を受賞している。

日本では2017年10月21日(土)よりアップリンク渋谷他にてロードショー!この映画、ガールパワーも後援しているので、ぜひご覧ください。なにかの夢を追いかけている人には特にご覧いただきたい映画です。

映画「ソニータ」公式サイトはこちら

 

Child Marriage 映画『ソニータ』

児童婚(Child Marriage)という言葉を聞いたことがあると思います。女の子たちの尊厳が守られない大きな問題のひとつであるとの認識を持つ方も多いことと思います。 が、日本に住む私たちにその実感を持つのは難しいものです。

映画を通して、私たちはまだ知らなかった現実を「知る」ことができます。 Girl Powerでいつも伝えていることでもありますが、私たちが同じように経験することはできなくても、知ることができ、共感することができます。

アフリカの一部では今でも麻酔も消毒もなく女の子が割礼を行う風習があります。それを私は映画『デザート・フラワー』で知りました。

映画『ソニータ』では、兄の結婚資金を得るために妹(ソニータ)が花嫁として売られるーー私は家畜ではない一人の女の子だ!と、アフガニスタン難民のソニータがラップに乗せて伝えます。 「知ってほしい、こんな現実があるんだ」 ウエディングドレスを着る彼女の額には、花嫁として売られる金額9000ドルのバーコートが印字されています。

 

『デザート・フラワー』・・・砂漠で生まれた裸足の少女ワリスは、世界的トップモデルへと成長しています。 『ソニータ』・・・ソニータは今アメリカに渡って勉強しています。

映画『ソニータ』

わたしの値段は9,000ドル。家族のために結婚を強いられる魂のラッパー、ソニータは歌い、自らの運命を変えていく――

アップリンク渋谷上映スケジュール

日本での『ソニータ』ビジュアルイメージ作成のお手伝いをさせていただきました光栄に感謝を込めて。

夫はなぜ妻の話を聞かないのか、夫婦の会話は「15秒」がベストな理由。

『話を聞かない男、地図が読めない女』を持ち出すまでもなく、多くの男性は女性の話を聞くのが苦手ですし、それが夫婦ともなると、「なぜ、結婚して生活費まで渡しているのに妻の話を聞かなければならないのか」とさえ思いかねない夫たちがいることも確かです。 そこには明確な理由があります。

●夫が妻の話を聞かない「当たり前の理由」 夫婦の会話は15秒がベスト http://biz-journal.jp/2017/10/post_20910_2.html

国際ガールズデーだから伝えたい「女の敵は女」にしないでほしい。

今日は、国際ガールズデーです。

「国際ガールズデー」「国際女性デー」いずれも国連の定めによるものです。 6年前に定められた「国際ガールズデー」も、40年以上前に定められた「国際女性デー」もあまり認知されていません。

それはさておき、だからこそ、ちょっとだけ言っておきたいことがあります。

ときどき、ほんとうに時々ですが、ごくたまに思うことがあります。 「女のひとって怖いなあ」と。

女性は、いわゆる「小顔」が好きみたいで、写真を撮るその瞬間に、同列に並んでいる女性たちから一瞬すっと顔を後ろに引くことがあります。 それはまあ、カワイイなあと思います。そこまでして小顔に映りたいなら勝手にすればいいよね、という感じですね。

私が「女のひとって怖いなあ」と感じるのは、そこではありません。

例えば、たくさんの人が集まって写真を撮るときがありますよね。たくさんの人の中でたまたま「2人の女性」が映っている写真を、それぞれの女性(女性Aと女性Bとしましょう)が、FacebookやInstagramでアップなさるときーーー

女性Aは、女性Bのウエストが太く見えて、女性Aの足が美しく映っている写真をアップなさっていて、 女性Bは、女性Aの足のかたちが変な感じで、女性Bのウエストが細く見える写真をアップしていらっしゃいます。

しかも彼女ら(女性AはBに対して、女性BはAに対して)、 人前では同じことをおっしゃいます。 「私たちすごく仲良しなの。彼女ってすごく美人でしょ」 と、おっしゃっている。おっしゃっておる。

怖いなあ。

だからこその「国際ガールズデー」かな。

男の人が女の人を守るのは当然のこととして、 お願いだから、「女の敵は女」にしてほしくないんです。 心からお願いします。

安室奈美恵の引退に思う、女性が生き方を選ぶということ

安室奈美恵の引退は「もったいない」のか?

もう20数年前のこと、街中は細い眉毛、短いスカート、そして厚底ブーツを履いた女子で溢れかえっていた。安室奈美恵のメークやファッションを真似たアムラーのことである。同年代の人なら理解してもらえると思うが、安室奈美恵は私達世代にとっては憧れの存在でありパイオニアでもあった。アイドルのような可愛い容姿にも関わらずパワフルなダンスチューンでデビューし、数々の賞を獲った人気絶頂のときに「できちゃった婚」を堂々と宣言。従来のアイドルであれば迷いなく引退宣言をするところを出産後すぐに復活、その後シングルマザーとして一人息子を育てながらも精力的に歌手活動を続けてきた。そしてデビュー40歳の誕生日を迎えた9月20日、突然の引退を宣言し、また世間を驚かせた。メディアは一斉に安室奈美恵の功績をたたえると共に、人気の衰えない歌姫の引退を「もったいない」と報道をしたのである。確かに40歳になっても安室奈美恵の人気は衰えていないし、まだまだ2時間のライブをほとんど休憩なしで歌って踊っていることを考えると、早すぎる引退なのかもしれない。しかし、大事なことは「彼女が選んだ」ということではないか?

「自分らしさ」を選ぶこと

話題は変わり、毎年10月11日は国連が定めた国際ガールズ・デーである。元々は、全ての女の子の「権利」や「恐怖や暴力のない生活」に向けての活動を広く国際社会に呼びかける日として制定されたものである。その国際ガールズ・デーにあわせるかのように日本で映画「ソニータ」が公開される。「ソニータ」は児童婚から逃れるため、ラップで自らの運命を切り拓いた難民少女「ソニータ」を追ったドキュメンタリー映画である。絶望的な環境に生きながらも決して夢を諦めない、そして周りの常識より自身が信じた道を切り開いていく姿には誰もが感動するだろう。 もちろん山口も強く心を動かされた。それは単に可愛そうな女の子の健気な姿にではない。むしろソニータは日本人女性の多くが忘れている、もしかしたら諦めているのかもしれない、本当の自分、「自分らしさ」を誰よりも理解し、貫いたことにである。ガールパワーインサイトでも、日本には素晴らしい文化や慣習があることは取り上げてきた、そして、中には女性にとって「プレッシャー」や「見えない天井」となっているものも少なくないことも同時に取り上げてきた。

ある年齢になったら結婚はするものだ、結婚をしたら子供を産むのは当たり前、子供ができたらキャリアより家庭を優先するのは母親だ・・・

こういう環境の中で、果たしてどれくらいの日本人女性が本当に堂々と「自分らしく生きる」ことができているのだろうか。この問いかけを社会に投げかけるべく、今回「自分らしく生きる」をテーマにしたイベントを開催することにした。トークイベント登壇のパネリストは、一人一人は全く異なる生き方を選んでいるが皆さん本当に美しく、強く、そして自分に素直に生きている。本イベントでは、多様な生き方をし、様々な考え方を持った人たちと話すことでもう一度「自分らしさ」について考える機会となるだろう。 イベント概要 イベント名:Speak Out! Talk & Party 開催日:2017年10月7日(土) 13:00—15:00 会場名:渋谷DAIA (〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂2-23-12 フォンティスビルB1) TEL:03-5489-3750 主催:一般社団法人日本女子力推進事業団(ガールパワー) 後援:ユナイテッドピープル株式会社 参加費:事前3500円(当日4000円) *2時間フリードリンク・軽食付き イベント申し込み:https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01pq89z4cfd2.html

パネリスト登壇者プロフィール

Fit Me Order made フィットミー株式会社 代表取締役 星田 奈々子 氏 幼少時代をギリシャで過ごし、高校3年間は豪州へ単身留学。慶應大学を卒業後、1997年、(株)リクルートに入社。2006年、1万円台で叶うお洋服のフルオーダーメードサロン「Fit Me Order made」を創業。9年間、副業として事業を拡大。アパレル業界の常識を覆す事業モデルとして、数々のメディアに取り上げられる。2014年、出産を機にパラレルキャリアに終止符を打ち、「Fit Me」を本業に。現在、恵比寿にサロンを構え、全国でも展開中。一女の母。

NPO法人World Theater Project 理事長 教来石 小織 氏 2012年より途上国の子どもたちを対象にした移動映画館を開始。団体としてカンボジアの子どもたち33,000人以上に映画を届けてきた。2015年、日本武道館で行われたプレゼンコンテスト夢AWARDで優勝。著書に『ゆめのはいたつにん』(センジュ出版)。

株式会社イクスシード 代表取締役 如月 音流 氏 2月1日生まれ。北海道・稚内出身。携帯絵文字作家。個人で絵文字(アスキーアート)サイトを立ち上げ、メルマガ会員30万人の人気サイトに。上京後、「girlswalker.com(ガールズウォーカー)」の副編集長を経て、Webシステム開発・デザインなどを手掛けるニューハーフ企業を立ち上げる。現在、複数の企業の代表を務め、フォトグラファー、タレントとしても活動中。

ミセスワールド2016日本代表 山口 真紀 1978年1月2日山口県生まれ。人生100年とも言われる中、会社員としてだけではない人生も楽しみたいと、2016年ミセスワールド日本代表となり、2016年11月の韓国での世界大会に出場。その後、一般社団法人日本女子力推進事業団(通称 ガールパワー)のプロジェクトリーダーとして活躍しながら、2017年3月MAKI.JAPANを開業しパラレルキャリアをスタート。夢は、Forbsの最も影響力のある女性100に入ること。

モデレーター

ガールパワー 専務理事 大野 理恵

「一線を越えたかどうか」ジャッジするのは今井絵理子議員本人ではないでしょ?

今井絵理子議員の不倫疑惑はまだ解決していないどころか、これから調停や裁判となり泥沼化する気配がします。 私はいわゆる不倫とか浮気とかにあまり目くじら立てるほうではありませんがーーーでも、「一線を越えた」という古風?で奇妙な言い回しが気にかかりましたので書いておきました。

「一線を越えたかどうか」なんて、自分で言うのはちょっと恥ずかしい。

Business Journal

大学公開講座「女子学概論」

8月18日(金)〜20日(日)、3日間連続の公開講座です。 八洲学園大学(横浜)在学生だけでなく一般の方もご受講いただけます。 ※インターネットのみでの受講も可。

じつは、「女性学」というものに少し違和感を覚えています。アメリカで生まれた女性学が日本へ入って来たときから、なぜか被害的な学問となり、女性はいつも被害者であり男性がいつも悪者のようになっているのではないかと感じています。

近年「女子力」がさまざまな場面で語られています。 「女性」でもなく「女」でもない「女子」は日本独自の概念でもあります。10代、20代といった若い世代だけでなく、日本では40代女子、50代女子といった言葉も見受けられます。 女性として生まれたご自身を真摯に受け止めることができるよう、また、ご自身の価値観を大切にしたうえで幸せを感じて生きられる方法を「女子学」で学んでいただくことができます。テキストの上だけでなく日常の中で活用できる講座内容です。 家族、恋愛、結婚、仕事、社会貢献、さまざまな場面で「女子」としてのパワーを活かしていきましょう。

【講座詳細と受講お申込】は、八洲学園大学にお願いします。 http://www.yashima.ac.jp/…/ext…/course/2017/04/post-507.html

豊田真由子氏の「このハゲーーー!」発言

件の女性議員による「このハゲーーー!」発言を、さして私は重要視していなくて。まったく差別的とも思わないのはなぜかなと考えていたのですが、それは、私がハゲ好きだからですね。

もしも私が「このハゲーー!」と言ったとき、それは愛情表現になってしまいます。 (もちろん私は大人なので言いませんが)

 

価値観とはそういうものです。 髪の毛がふさふさした男性を好む女性もいれば、髪の毛の多い少ないはどうでもいいと思う女性もいます。ちなみに私は、ハゲた男性をセクシーだと感じますし、そんなことより何より、男性にとって大切なのは髪の毛の多寡より頭の中身のほうが大切だと思うタイプの女です。

※この文章は豊田真由子氏の言動すべてを語るものではなく、ただ一点「このハゲーーー!」だけについて語ったものです。それ以外の言動についての問題や罵倒された元秘書男性の問題はまた別稿で語らせていただきます。

小林麻央・麻耶の美しい姉妹愛に苦しむ人たち

「愛してる」――最期に告げて逝った小林麻央さんと、夫・市川海老蔵さん、姉・小林麻央さん

6月22日の小林麻央さんの訃報には、日本中が涙した、と言っていいほど、最期の最期まで愛に生きた彼女の悲しい知らせには、多くの人が胸を痛めました。

「愛してる」――最期に告げて逝った妻。夫・市川海老蔵さん、そしてそんな姿をそばでともに看取られた姉・小林麻耶さんや、姉妹お二人のお母様のご心情を思うと、胸がつまります。

姉・麻耶さんのお仕事ご復帰のタイミングも、麻央さんは見届けて逝かれたようにすら感じます。

「恋のから騒ぎ」に麻耶さんが出演され人気を博し、その次の期に麻央さんが出演され、お二人ともおなじテレビの世界で活躍する道に進まれました。お互いにお互いの仕事に対し、尊敬の念があったことでしょう。生前の麻央さんは、麻耶さんをテレビで観るのを楽しみにされていたと聞きます。

そして、麻央さんご逝去の翌日には、気丈にも復帰番組の収録に臨んでいたという麻耶さん。「麻央ちゃんに心配をかけたくない」思いで、胸のなかに麻央さんへの愛を抱いて、ともに踏ん張られたのでしょう。

麻耶さんと海老蔵さんの今後のお姿に、私たちは麻央さんを見る

ほんとうに素晴らしい姉妹愛、夫婦愛。愛について、あらためて考えさせてくださった麻央さんの生きかた、そして最期でした。

麻央さんは、これからも麻耶さん、海老蔵さんのなかに生き続けるでしょう。私たちは、お二人を通して、麻央さんの愛を受け取り続けるのでしょう。

そんなお二人のお姿を、祈るような見守るような気持ちで拝見できることは、私たち視聴者や観客にとって、大変な恵みだと思います。

姉妹関係に葛藤を抱える女性たちの背景

さて、2013年公開のディズニー映画「アナと雪の女王」のブームなどでも、姉妹愛は注目されました。

しかし、実はそのように姉妹愛がクローズアップされる裏で、密かに苦しみを抱えている女性たちがいることをご存知でしょうか――姉妹関係に葛藤や悩み、問題を抱えている人たちです。私、麻生マリ子のもとにも、姉妹関係の悩み相談に訪れるかたがいらっしゃいます。

姉妹関係は、おなじ女性同士、同性ということもあって、複雑に絡まりがちです。

きょうだい・姉妹関係は、母親がきょうだい・姉妹をどのように取り扱うかによって決まるといっても過言ではありません。

比べられてきた、競わされてきた。要領よくかわいがられてきた、叱られて損ばかりしてきた……。

そんな扱いの差に加え、たとえばママ友のあいだでも、女の子に下の子が生まれると「お姉ちゃんが面倒みてくれるね」といった会話が交わされるほど、「姉=下の子の面倒を見るもの」というのが当然とされています。

幼児向けの絵本でも、小さい妹の面倒を姉が見ていて、妹に何事かが起きて、姉が胸が潰れそうな思いをする、といったシーンが当たり前に描かれています。

そうした社会的要請によっても、姉妹関係は形成されていきます。

ストレス源になる姉妹「ストレッサ―シスター」と姉妹関係の分類

麻生は、ご相談に訪れる女性たちの葛藤や悩み、問題の種になっている姉あるいは妹を「ストレッサ―シスター」と称しています。姉や妹がストレッサ―(ストレス源)になっている、ということです。

ストレッサ―シスターは、「シスター」が姉・妹、両方を示す言葉であるとおり、姉でも妹でもなりえます。姉がなるか妹がなるかは、姉妹関係のパターンや、問題の原因によります。

麻生は、姉妹問題を下記のように分類しています。

(1)“小さなママ”を務める子 × 子どもらしくいられる子

(2)要領のよい子 × 不器用で損をしてばかりの子

(3)暴君の子 × 隷属し振りまわされる子

(4)母と一体化する子 × 母と距離のある子

(5)認められる子 × 認められない子

(6)もらうばかりの子 × 与えてばかりの子

ストレッサ―シスターへの対策は?

では、ストレッサ―シスターには、どのように対処したらよいでしょうか?

もっとも大きな原因は母の扱いにありますが、姉妹が大人になってから、この根源から変えようとするのは、とてもエネルギーの要ることですし、効果が見られることはほぼ難しいと言っていいでしょう。

そこで、麻生が提案するのは「女性の生きかたレースから降りる」ことです。

大人になってからは特に、美醜やファッション、メイク、恋愛や結婚、妊娠、出産といった「女性の生きかた」の「勝ち負け」が、姉妹間の葛藤を生み出しています。

自ら、そのレースを降りる。放棄する。棄権してしまうのです。

特に、子どもの頃から培われてきた問題である場合、根は深いので、「変えよう」という努力をすることにエネルギーを使って消耗するよりも、「棄権」を推奨します。

また「姉妹は仲良あるべき」という幻想からも、自由になりましょう。

相手にしたくないストレッサ―シスターと、無理に付き合うことなどありません。

いかがでしょうか。

社会が姉妹愛を理想化したり、幻想化したりする裏で苦しむ女性たちの存在を知っていただけたらと筆を執りました。

「なんで怒ってるかわかる?」――女はいつも男を試す。試された男の対処法とは?

女性の「なんで怒ってるかわかる?」への返答は?

女性から「なんで怒ってるかわかる?」と聞かれたら、あなたはなんと答えますか?

A:「○○のことかな?」(心当たりの出来事を答える)

B:「わからない」(見当もつかないときにわからないと正直に答える)

C:「なんで怒ってるの?」(見当もつかず、正直に尋ね返す)

答えは、どれも女性の怒りを買ってしまい、自爆~! というのが、いまネットで話題になっています。

(出典:http://news.livedoor.com/article/detail/13232859/

さて、なぜ男性のこの回答がことごとく自爆してしまうのでしょうか?

そして、どう返答するのが、女性の怒りを買わずに済むのでしょうか?

女性は男性の愛情を常に量り試している

女性は、男性の愛情に対し、このように試すようなことをしばしば行います。面倒なものですね(苦笑)。

しかし、これは彼女の不安からくるものです。

不安だから、彼女は男性の愛情を推し量りたくて、試すようなことを聞くのです。

この場合、彼女の質問に「まともに答えてしまったこと」が、すでにアウトなのです。

男性からすると、大変理不尽でしょうが、「なんで怒ってるかわかる?」に、そのまままともに回答してはいけないのです。

「なんで怒ってるかわかる?」男性はどう答えれば、女性の怒りを回避できるか

この場合の模範解答は「ごめんね」だと、私は考えます。

心当たりもないのに謝るなんて抵抗があるかもしれませんが、「怒らせてしまって(不安にさせてしまって)ごめんね」と、そういった質問に至らせたことを謝ればよいのです。

さらに、巧妙に質問の論点をずらしていますから、この話題を延々続ける必要性が大きく失われるのです。

怒りは二次感情、その背景にある一次感情に注目する

怒りは、心理学で二次感情といい、その背景にある悲しみや不安、恐怖などを、そのまま表現できないときに、その発露として表現されるもの、とされています。

男性は、女性が怒っている場合には、その背景にある一次感情に注目してみましょう。

女性は、男性に一次感情を素直に表現できる女性になれるとよりよい関係が結べるでしょう。

怒りの感情でぶつけられるよりも、「不安だったの」「さみしかったの」「心配だったの」と素直に打ち明けられたほうが、男性も受け入れやすいのではないでしょうか。

うまく表現できない場合には、「うまく表現できない自分がいるの」ということを伝えるのもひとつではないかと考えます。

私の懇意のパートナーシップがうまくいっている二人は、女性が怒りを爆発させたときには、男性が「本当は何が言いたいんだ?」「君の本当に言いたいことは何なんだ?」と、一次感情にアプローチするような質問をすると言っていました。

女性の怒りへの対処を身につける

ここまで上級な女性の怒りへの対処法を身につけるのは、男性にはハードルが高いかもしれません。

しかし、

・女性の怒りの背景にある感情こと一次感情に注目する

・つまり、怒りは彼女の本心ではないと知る

・「ごめんね」というマジックワード

の三点くらいは覚えておいて損はないのではないでしょうか?

AKB総選挙で結婚発表した須藤凜々花は何が問題なのか?

須藤凜々花の結婚宣言に世間は騒然

AKB総選挙の結果発表の場でNMB48の須藤凜々花がぶちかました結婚宣言。メディアでもネットでも大きな話題になっている。「恋愛禁止など、そもそもファンタジー」などといった擁護論?も一部にはあるが、批判一色と言っていいと思う。しかし、須藤凜々花の結婚宣言のなにが悪いのか、多くの人が論じているがあまり本質的な議論は見当たらないと感じられる。

須藤凜々花の結婚宣言はいったい何が問題で、ファンの怒りの本質、そして現役メンバー、卒業メンバーなどの怒りの本質はなにか? 今回はそこを考えてみたい。キーワードは「仲間」だ。

AKBとキャバクラの本質的な違い

今回の結婚宣言を、キャバ嬢にたとえて語る人も多い。たとえば、タレントのマツコもその一人だ。

応援しているキャバ嬢から、「今月ピンチなの。20位に入らないとお店でやばいかもしれない。悪いけどドンペリ開けてくれない?」と懇願された、「いつもはドンペリを月に1本開けるか開けないかの男」が、「がんばって30本開けたとしますよ

須藤の結婚宣言は、キャバ嬢が客へ「ありがとう、どうにか今月20位に入れたわ。ところで私、結婚するんだよねといっているのと同じ」

http://www.sanspo.com/geino/news/20170619/geo17061917310025-n1.html

この説明は分かりやすい。しかしAKBというグループとファンの関係を正しくは説明していない。

アイドル・ビジネスは疑似恋愛ビジネスだとよく言われる。その意味では、アイドル商売はキャバクラやホストクラブに似ている。もちろんAKBグループや坂道シリーズ(以下、総称してAKB)にもその要素はある。しかし、AKB商法=疑似恋愛商法=キャバクラと同じとは言えないのだ。

キャバクラもホストクラブも基本的に客は人につく。お目当てのキャバ嬢やホストがいるから店に通うのであって、「店そのもの」がお目当ての客はまずいない。だから、たとえばお気に入りのキャバ嬢が店を変わると、客も店を変える。お気に入りのキャバ嬢が店を移ったからと言って「では、この店の他のキャバ嬢でいいや」とも思わない。やはりお気にの女の子を追って新しい店に客も移る。

まあ、銀座のクラブでも六本木のキャバクラでも、ブランド化した店が無いわけではないし、そのような店には「店の客」もいないわけではないが、「店の客」の本質はママの客であったり、あるいは新たなお気に入りの女の子をさがすためにある程度の品質が保証されたブランド化された店にいくだけで、お目当ての基本はやはり店ではなく女の子自身だ。

しかし、AKBのファンとは推しメンのファンであると同時jに、AKB自体のファンでもある。これはキャバクラにたとえば言えば「特定のキャバ嬢の客であると同時に店の客でもある」ということになる。これはつまり、メンバーの人気にAKBの存在が不可分であるということだ。前田敦子も大島優子もAKB48のメンバー故に人気があったし、だから卒業すると人気が下がった。

もちろん、この傾向はAKBだけでなく、たとえばモーニング娘。でも同様で、グループ在籍時以上の人気を卒業後に得ているメンバーはいない。しかし、AKBにはモーニング娘。など他のアイドル・グループにはない特殊性がある。それはファンとの関係性、というかファンの立ち位置だ。

AKB最大の特徴はいわずとしれた「総選挙」だ。僕もアイドル業界、音楽業界で仕事をしていたから分かるが、業界の人間は基本的に自分たちのクリエイティブに素人が口を挟むことを嫌う。選抜メンバーの人選だけなく、その立ち位置にまで素人のファンが口出しする。もっと言えば、自分たちの意図と違う結果が出たとしても、素人の意見に従わなければならいようなシステムなど、業界の人間にとってはあり得ないことだったのだ。AKBはそれをやった。これは、業界的に言えば画期的なことだった。

AKBが侵した最大のタブーとは?

AKBはさまざまな業界のタブーを侵している。それは近田春夫さんが指摘するように、

(1)射幸心を煽る。(2)劣情を刺激する。という商道徳上の古典的禁忌(とまではいいませんけどね)を、むしろ堂々と運営の基本理念にすえてしまった(笑)

http://ch.nicovideo.jp/shukanbunshun/blomaga/ar1283302

ということでもあるが、この二つ以上の禁忌破りが「総選挙」だと思う。

そして、その総選挙もまた、他の二つの禁忌と同様に「禁忌であったものをむしろ基本理念にすえた」結果でもある。

総選挙を行った直接的な理由は「投票権をCDにつけて売れば売れるんじゃない?」という単なるプロモーション的なアイデアだったかもしれないが、そこに至る背景にはやはりAKBというグループの基本理念が(たとえ運営側の無意識であったとしても)あってのことだと思う。その基本理念とは「コミュニティ」である。

「会いに行けるアイドル」をコンセプトに生み出されたAKB48であり、その常打ち小屋として作られたAKB劇場だが、これは単に「アイドルに会える劇場」だったワケではない。ファンがアイドルや運営と一緒にシーンを作り上げていける仕組みだったのだ。つまり、AKB劇場を作ってスターとした当初から、AKB商法とはコミュニティ商売だったのだ。

AKB商法はキャバクラ商法ではなくクラウドファンディング

AKBというグループはいろんな意味でモーニング娘。を踏襲しているが、モーニング娘。が生み出したにもかかわらず生かし切れなかったものを、秋元康はうまく活かしている。その最大のものが、このファンがシーン作りに参加できる仕組みである。

AKB商法の特長である握手会も総選挙も、その原型はモーニング娘。のデビュー・イベントにあると思う。当時、ASAYANという番組の「シャ乱Qオーディション」(はたけがプロデュース)に落選した中から5人の女の子を選び「手売りでCD5万枚売ったらメジャーデビューさせる」という番組企画を行った。そして、大阪、福岡、札幌、名古屋、東京の5カ所でメンバーによる手売りイベントが開催され、CDは見事完売。モーニング娘。はデビューすることになった。(ナゴヤ球場で完売したため東京は中止)

これは今で言えばクラウドファンディングそのものだ。この時の手売りCDの価格は500円。みんなが500円でCDを買えば、女の子たちの夢がかなう。そこに自分たちも参加できる。自分たちの力が、何かの役に立つ。クラウドファンディングの精神そのものだ。

その意味で、モーニング娘。のデビュー劇は今のネット時代の到来を予感させるイベントだったと思う。その意味では大きな金脈を居着けたのだ。残念なのは娘。のプロデューサーとなったつんくがアーティストだったことだ。当時のアーティストにはクラウドファンディング的な発想はなかったし、生理的にあわなかったのだろう。なので、せっかく見つけた大きな金脈を活かすことができなかった。それを秋元康はうまく活かした。

キャバクラやホストクラブで、ひいきのキャストやホストをナンバーワンにするために、客が高価なボトルを入れたり、シャンパン・タワーをしても、そのキャストやホストは売上げを上げるが、店そのものの価値を高めることにはならない。

しかし、AKBファンが一人で大量にCDを買ったり、イベントに足を運べば、それがニュースとなり推しメンの価値が上がるだけでなく、AKB自体の価値も高くなる。

総選挙の投票権のためにCDを大量に買い込むことは、推しメンのランクを上げるためでもあるが、同時にAKB現象というもの、AKBというシーンを作り上げるための投資でもあるのだ。これは、途上国に学校を作ったり、児童養護施設の子どもたちが大学に行けるための奨学金制度を作ったりするためにクラウドファンディングで「投資」することとまったく同じだ。だから、AKB商法とは(キャバクラではなく)クラウドファンディングなのである。

須藤凜々花の結婚宣言は「仲間への裏切り」

そして、クラウドファンディングの本質とは「コミュニティ」である。誰かの夢を基軸とした仲間の集まり、だから、AKB商法の本質は疑似恋愛というより、むしろ疑似コミュニティと言った方がいい。というか、疑似ではなくコミュニティそのものだ。つまり、ファンはメンバーや運営と同列の「仲間」なのである。

その意味で、須藤凜々花の結婚宣言はキャバ嬢の結婚宣言とは本質的に違う。キャバ嬢が太客に対して「わたし、結婚するの。店もやめるの」と言っても、それはキャバ嬢と客の間の話にしかすぎない。しかし、須藤凜々花の話は違う。仲間への裏切りなのだ。

当たり前の話だが、今のAKB人気はいきなり降って涌いてきたわけではない。指原莉乃も渡辺麻友も彼女たちだけの努力で人気を得たわけでもない。劇場にまったく客が入らなかった時代から頑張ってきた初期メン。その後を引き継いだ各世代のメンバーたちの頑張りの結果が今のAKB人気であり、AKBのポジションであり、それはこれからメンバーになる後に続く女の子たちの夢と未来でもあるのだ。

ものごとというものは、そのような過去・現在・未来のパースペクティブの上に成り立っている。今回の件で有吉弘行は「OBとかOGが学校来て文句言うのが一番ウザったい」と言うが、ことが「仲間への裏切り」に関することなら、コミュニティのOBやOGが苦言を呈するのは当たり前ではないか? コミュニティというものは、現役メンバーだけのものでは無いはずだ。

そもそもコミュニティにはOBもOGもない。コミュニティのメンバーとは、そのコミュニティを愛する者のことだ。AKBで言えば、メンバーも運営もファンも、卒業メンバーも、AKBを愛していれば全員がAKBコミュニティのメンバーだ。コミュニティのメンバーが「仲間への裏切り」に文句を言うのは当然なのだ。

「今どき、恋愛禁止など非現実的。幻想」という批判もあるが、あらゆるコミュニティ、それこそ国家も企業も地域コミュニティも、すべてもコミュニティは幻想の上に成り立っている。それを幻想だと批判したければ、あるいは破りたければ仲間であることをやめる、コミュニティから抜け出した上でやるべきだ。AKBで言えば、卒業した後に恋愛しても結婚しても、誰も何も言わないだろう。

今回の須藤凜々花の結婚宣言は、週刊文春による「お泊まりデート報道」に先手を打ってのものであることは明白だ。しかし、先手を打つにしても、もう少しやりようがあったのではないか?

「恋愛禁止」が前提のAKBメンバーとしては、恋愛スキャンダルももちろん「仲間への裏切り」ではある。しかし、仲間を裏切った人間がとるべき行動とは、まず仲間に対する謝罪だろう。それをやらずに、「結婚しますんで。仲間抜けます。バイバイ」では、本人はそれでいいかもしれないが、仲間はそうはいかない。この場合の仲間とは前述の通り、現役メンバーだけでなく、卒業生、運営、そしてファンも含めた仲間だ。

コミュニティ維持の本質は、仲間への裏切りにどう対処するかに尽きる。今回の結婚騒動を、運営はどう仕切るつもりなのか。対応いかんでコミュニティは崩壊する。これまでも何度か恋愛スキャンダルに襲われてきたAKBだが、今回の件はグループ最大の危機だと言えるだろう。

 

「あなそれ」視聴率、2週連続で急上昇! 仲里依紗の演技が凄い!

ネットで大炎上していた「あなそれ」、番組最高の視聴率!

主人公たちが「クズすぎる」とネットで大炎上したドラマ「あなたのことはそれほど」(TBS系火曜夜10時、以下「あなそれ」)。視聴率も初回11.1%を記録したが、ネットでの不評の影響か、2回目以降は一桁台に低迷していた。ところが第六話で11.5%を記録して二桁台に戻し、番組最高視聴率を獲得。続く第七話で12.4%とさらに数字を伸ばし、最高視聴率を更新した。視聴率上昇の要因は、東出昌大と仲里依紗の怪演にあると思われる。

ドラマはいわゆる不倫もので、波瑠が演じる渡辺美都が飲み会の帰り、偶然に中学・高校時代に大好きだった有島光軌(劇団EXILEの鈴木伸之)と再開するところから始まる。美都は渡辺凉太(東出昌大)と結婚したばかりにもかかわらず、光軌とすぐに不倫関係に。そして、ふたりで温泉旅行に行くが、そこで光軌が結婚していて子供が生まれたばかりであることがバレる。うろたえる光軌に、しかし美都は結婚指輪をはめて見せ「大丈夫。私も結婚してるから」とにこりと笑う。それを聞いた光軌は「よかった〜」と安堵する。

この、なんの罪悪感も後ろめたさも感じさせない二人の関係に、ネットでは「クズすぎる」「まったく共感できない」と大批判が相次ぎ、視聴率も急降下した。

ところで、ドラマが進むうちに美都の夫・凉太を演じる東出昌大の怪演ぶりが話題に。二人の結婚記念日(美都の誕生日でもある)に二人でレストランで食事しながら、美都が浮気している事を知っていると告白。驚く美都に対して凉太は、

「みっちゃん、僕はこの先どうあろうと、今の君がどうあろうと、ずっと君を愛する。大丈夫なんだ。ずっと変わらず君を愛することができるよ」

「誓うよ。これが僕のプレゼントです」

と美都に告げる。この時の凉太の笑顔が「怖すぎる怪演」として話題に。

その後、凉太はどんどん壊れていく。有島光軌が妻の麗華と生まれたばかりの娘と三人で公園を散歩しているところに登場。「渡辺です」と光軌に告げるなど、行動をエスカレートさせていいくが、東出昌大の怪演ぶりにも拍車がかかる。これが、前回の放送で視聴率がV字回復した要因だと思うが、今回、さらに視聴率を伸ばしたのは仲里依紗の功績だと思う。

東出昌大を凌ぐ仲里依紗の怪演ぶりが話題に

凉太が美都の浮気を知り壊れていくのと並行して、光軌の妻・麗華も夫の浮気を疑い、それはやがて確信へとつながる。その確信が深まるにつれ、最初はおとなしくて目立たない、地味な女のイメージだった麗華が、だんだんと不穏な表情を浮かべるようになる。そして、完全に「怖い女」に変貌したのが今回の放送だった。 たまには母親を忘れて二人でデートしたいという麗華の願いを光軌は聞き入れる。お洒落なレストランでディナーをしながら、麗華は浮気をしていた父親の話を引き合いに出しながら、「自分が明るい家庭を築けるとは思ってなかった」「亜胡(娘)がいてくれてホントに幸せ」「こんな幸せをくれて、ありがとう」などと感謝の言葉を重ねる。その言葉を聞きながら、光軌は両親の呵責に耐えかね、苦痛の表情を浮かべる。それを見た麗華は問いかける。

「どうしてそんな泣きそうな顔をしているの? 何がつらいの?」

その一言にとどめを刺された光軌は自分の浮気を告白し謝罪しようとする。

「バカだった、、、、軽いノリと昔の思い出と、、、、」

半泣きになりながらそう語り始めた光軌に、不思議そうな表情を浮かべて麗華が問う。

「なんの話?」

不意を突かれて驚愕する光軌は恐れながら麗華に尋ねる。

「・・・知ってるんだろう?」

麗華は答える。

「私が知ってるのは、渡辺という女が訪ねて来た。日を置いて私の前に2度現れた男も渡辺といった。あなたは私に聞かれて困ることがあると、ちょっとフリーズする。それだけよ」

このシーンの仲里依紗がとてつもなく怖い。ぞくぞくするような怪演だ。というか、恐演だ。

「あなそれ」の勝者は仲里依紗か?

僕は以前の記事でも、仲里依紗への期待を書いた。

2017.05.10波瑠「あなそれ」主演は大失敗? 「あなたのことはそれほど」ネットで大不評 「登場人物がみんなクソ過ぎる」ということでネットで大批判を浴びているドラマ「あなたのことはそれほど」(TBS系火曜22時。以下、あなそれ)。波瑠が演じる渡辺美都と鈴木伸之演じる有島光軌の不倫を軸に...

この「あなそれ」で東出昌大の演技は「平成の冬彦さん」とまで称えられている。冬彦さんは、かつて大きな話題をさらって高視聴率を獲得した「ずっとあなたが好きだった」での主人公で、恐怖のマザコン男というキャラ設定だが、冬彦さん役の佐野史郎の怪演は今でも伝説だ。

東出昌大の怪演は、その冬彦さんに並ぶか? と言われているわけだが、前述の僕の記事でも書いたように、冬彦さんにはそのキャラを際立たせるお母さんがいた。それを野際陽子がこれまた怪演した。東出昌大が「平成の冬彦さん」になれるかどうかは、佐野史郎に野際陽子がいたように、誰かが必要であり、それはたぶん仲里依紗だろう。それが、僕の予想だった。

その予想は残念ながら外れた。「平成の冬彦さん」になれるのは東出昌大ではない。仲里依紗だ。東出昌大に仲里依紗が必要だったのではない。仲里依紗(麗華)が覚醒するために、東出昌大(凉太)が必要だったのだ。水爆を爆発させるためには原爆を爆発させる必要があるが、それと同様、東出昌大の怪演は仲里依紗の恐演を引き出すための起爆剤でしかなかった。東出昌大は野際陽子で、仲里依紗こそが佐野史郎だったのだ。

今後の脚本と演出次第でもあるが、麗華を演じる仲里依紗には、冬彦さんを超えるだけのポテンシャルがあると思う。というか、仲里依紗のポテンシャルをどこまで引き出せるか、制作陣は底を問われていると言えるだろう。このドラマの主人公はもはや波瑠でもなければ、東出昌大でも鈴木伸之でもない。仲里依紗だ。

終盤に入り残り少ない「あなそれ」だが、仲里依紗を見るためだけにこのドラマを見ても損はないと思う。まだ見ていない人たちも、クズすぎる「主人公」に共感できなくて途中で見ることを辞めた人もぜひ見て欲しい。もしかしたら、平成の名女優誕生の瞬間に立ち会えるかもしれない。今の仲里依紗なら、そこまでの期待ができると思う。

「あなたのことはそれほど」はTBS系で火曜日夜10時から放送中。

モデルという生き方

モデル業界もデフレ状態

仕事の関係で女性モデルが必要になった。

女子大生くらいの年ごろのモデルであれば、知り合いの女子大生や、ミス・キャンパスのネットワークを持つ男子大学生に頼めば、女子大生読モはすぐに集まるのだが、今回のイメージはアラサー女性。そうなると、プロのモデルに頼むしかない。

ところが僕はモデル事務所のネットワークが無い。昔はファッション誌のプロデュースをしていたり、広告やテレビの仕事をしていたから芸能事務所やモデル事務所はいくつも知っていたし、親しいマネジャーもいたから調達に苦労しなかったが、仕事の中心を韓流関係にシフトし、さらに社会貢献にシフトするうちに、そのような事務所やマネジャーともすっかり疎遠になってしまった。

古い連絡帳などひっくり返せば、かつて仕事していたマネジャーの連絡先も分かるだろうが、移り変わりの激しい業界なのでまだその事務所にいるかどうかは分からないし、久しぶりに連絡したらイメージにぴったり合うモデルがいなくてもその事務所のモデルを使わなきゃならないし、いろいろとめんどくさい (>_<)ゞ

どうしたものかと考えたが、今どきはモデルのマッチング・サイトみたいなのがあるのではないかと思い立ち検索してみたらビンゴ! いくつかあった。

このようなマッチング・サイトは誰でも登録ができる。なので、モデル・リストを見ても、CM出演やメジャーな女性誌の専属経験などそこそこ実績があったり、事務所に所属しているモデルもいるが、まったくの素人としか思えない女の子もたくさん登録されている。なかには「なぜ、あなたがモデルをやろうと思ったの?」と突っ込みたくなるような女子も少なくない。そのいっぽうで、ほとんどモデル経験がないと思われるが、抜群にカワイイ女の子もいたりする。

まさに玉石混交だが、気になったのはそのギャラだ。概ね1万円から2万円程度。中には数千円という女の子も珍しくない。とある地方在住の女の子など、希望価格は二千円だ。しかも、東京在住なら今回の仕事で絶対にオファーしているようなレベルの高いビジュアルなのに、である! 冗談なのか、釣りなのかとも思ったが、プロフィールで公開されているメッセージ欄を見ていると、どこかのクライアントと「交通費プラス二千円でお願いします」とか書いているので、ホントにこの値段で引き受けているようだ。

僕の感覚からすれば、この値段は異常だ。日本はデフレが20年以上も続いてきたが、モデル業界も例外ではなかったのだ。

メジャーな媒体のギャラが安いワケ

メジャーな女性誌、ファッション誌の読モのギャラが安いことは知っていた。数千円とか、ギャラ無しとかいう話は読モの女の子たちから聞いていたが、このような場合は、メジャーな雑誌に登場できるというインセンティブがある。だから、ギャラ無しでお出たいという女の子が多いということも理解できる。

僕がファッション誌のプロデュースをしていた頃(もう20年くらい前)も、雑誌の巻頭グラビアに登場したり、写真集を何万部も売るような女の子をモデルに使っていたが、ギャラは1〜2万程度しか払ってなかった。誰でも知っているようなメジャーな芸能人の場合でもその程度のギャラ、場合によっては払わないケースもあった。そのクラスの芸能人ならマネジャーも数人、さらに専属のヘア・メイクがついてくることもあるので、事務所としては完全な赤字だ。それでも出演してくれるのは、その雑誌が発行部数30万部のメジャーな雑誌だったからだ。つまり、芸能事務所もモデル事務所も、僕の雑誌に出ることがプロモーションになると媒体価値を認めてくれていたから、そんなギャラでも(無料でも)出てくれた。

しかし企業広告の場合はちょっと事情が違う。タレントやモデルはテレビや雑誌で名前と顔を売って、広告モデルで儲けるというのが基本的なビジネス・モデルだし、広告モデルはいろいろと制約が多い。競合関係がシビアなので、たとえばどこかの化粧品会社の広告に出たら、他の化粧品会社の広告には出演できない。一業種一社が原則で、どこかの企業の広告に出たら、その先の仕事の可能性がひつつ経る。だから広告モデルのギャラは高い。しかし、それでも無名のモデルやタレントは、大手企業の広告モデルなら多少安くても出る場合もある。露出が多い(テレビCMが大量に流れるとか、ポスターが大量に街中に掲載されるとか、メジャーな雑誌の広告枠で顔が出るとか)ことが確約されていれば、それがきっかけで注目されて、テレビや雑誌の仕事が増えて、他の企業広告の仕事も増えることが期待できるからだ。

しかし、このようなケースでは、クリエイティブ予算だけで数千万円というのは普通で、モデルもマッチング・サイトで探すようなことはしない。マッチング・サイトを利用するクライアントは、今回の僕のケースもそうだが、それほど多額の予算があるわけじゃないので、一流モデルは使えないけど、そこそこのモデルは獲得したいというケースだろう。また、どうやらクライアントも素人みたいな場合も多いようだ。

仕事のオファーを見ても「ヘア、メイクは自前でお願いします」とか平気で書いているし、カメラさえもクライアントのスタッフが撮影する場合も多いようだ。

ネットの時代だからそのような仕事も増えたのだろう。今どきはちょっとした企業なら必ず企業サイトを作るし、ネット通販の企業も増えたので、モデルの需要は多くなった。しかし、予算は少ない。なので、カメラもスタッフが担当、ヘア・メイクもモデルが自前という仕事も増えたのだろう。

また、ニュース・サイトも増え、個人ブログも増え、モデルを使ったフリー素材の需要も増えた。こちらも仕事量は多いが予算は少ないので、ギャラはあがらない。

モデル供給過剰の時代

安い仕事が増えた事に加えて、今はモデル自体も供給過剰だ。モデルの敷居は昔に比べてずいぶんと低くなった。

昔は、モデルと言えばみんな高身長で、ショー・モデルなら日本人女性でも170センチ以上。雑誌などのスチールのモデルでも160センチ台後半は要求されていたと思うが、読モというジャンルが出てきて、タレントがファッション誌のモデルをやるようになって、いまでは150センチ程度のSサイズ・モデルも珍しくなくなった。顔さえよければ、身長はあまり問われなくなったとも言える。モデルの敷居も身長も随ずんと低くなっているのだ。

加えて、プリクラ世代以降、特にSNS時代になってから一般の女の子たちの「撮られ方」の技術が格段に上昇した。カラオケが登場して、日本の若者の歌唱力が格段にアップしたのと同じだ。一般の女の子でも、写真撮影の時の表情の作り方、ポーズの取り方、それらのモデル・スキルは格段に向上している。

言ってみれば、今はモデルも供給過剰な時代で、それもまたモデル業界のデフレ圧力にもなっているのだろう。

モデルという生き方とは?

このような時代に、職業モデルとして生きていくのはたいへんだ。単純に計算してみれば分かる。1万円のギャラで月に20本の仕事があっても収入は20万円。実際にはここからマッチング・サイトへの手数料、事務所に所属している場合は事務所のマネジメント料。さらに源泉徴収もある。手取りはたぶん15万円を切る。2万円のギャラでも30万円。しかし、月に20本も仕事があるのはけっこうな売れっ子だ。ようするに、マッチング・サイトで登録しているような女の子で、モデル専業で食っていけてる子はほとんどいないと思われるし、実際にプロフィールを見ていると「会社員やりながらモデル活動やってます」みたいな子が多い。モデルの敷居が低くなったと言ったが、逆に職業モデルとして食っていく敷居は高くなっているのかもしれない。

ただ、ものは考えようだ。今は職業モデルとして食っていくことと、モデルとして生きることを分けて考えるべき時代なのかもしれないのだ。バンドをやったり役者をやることと同じく、表現者としてのモデルになるには、今は比較的簡単な時代だし、仕事の量自体は増えているのかもしれない。モデルで食うことは難しくても、モデルとして活動することは簡単な時代なのだろう。それは、アイドルの世界でも、メジャーなアイドルになるのは難しくても、地下アイドルとして活動するのは比較的、簡単なのと同じだ。

また、年齢的にも今は30代や40代でもモデル活動ができる。マッチング・サイトを見ていても、ママさんモデルもけっこういる。

そして、個人的にはこのような兼業モデルが増えることは悪いことではないと思う。キレイになろうと努力する女子が増えることはいいことだし、モデルの裾野が広がればトップ・モデルの質も高まる。また、これまではモデルとして世に出るには東京に住んでなければ難しかったのが、地方在住のままメジャーなモデルになれる可能性も広がる。橋本環奈が博多のご当地アイドルから全国区へと出てきたように、地方在住の女の子が、マッチング・サイトをきっっかけに注目されてメジャーなモデルとして全国区になる可能性もある。

夢を持った女の子たちの可能性が拡がるのはいいことなのだ。

夢を持った女子のみなさんには、たとえ兼業モデルであっても胸を張ってぜひ頑張って欲しいのだが、そうは言ってもモデルとして食っていきたいとか、少しでもメジャーなモデルになって活躍したいという女子もいるだろう。そんな女子のために、次回は売れるタレント、モデルは何が違うか。僕の経験からお伝えしたいと思う。乞うご期待を!

 

 

「歌手にだけはなってはいけない」~神田沙也加・松田聖子母娘に見る「母の呪い」を「社会」が強化する事例

「歌手にだけはなってはいけないよ」幼い頃から、周りの大人たちから言い聞かせ続けられてきた神田沙也加さん

神田沙也加さんと村田充さんのご結婚をめぐる、松田聖子さんの公的なご対応により、にわかに松田聖子さん・神田沙也加さん母娘の関係が注目を浴びています。

沙也加さんは、子どもの頃、ご本人は記憶されていないそうですが、おばあさまのお話によると、幼い頃におもちゃのマイクを持ってステージごっこをよくやっていたそう。歌うことが好きな子どもの他愛もない遊び、と映るはずの光景でしょう――ただ、彼女は「歌手・松田聖子の娘」として生まれた女の子でした。

それを見て、周りの大人は私が歌手になりたいと思っていたようで、「あなたは歌手にだけはなってはいけない」と言われ続けてきたんです。母親があまりにも偉大だな存在だから、同じ道を選んでも比較されて辛い思いをするだろうって。ことあるごとにそれを聞かされて育ってきたので、私の中では「歌手=タブー」の図式ができ上がっていました。そんな背景があったので、15歳で歌手デビューが決まったときも、うれしいよりも「本当にいいの?」っていう思いのほうが強かった。不安しかなかった。というのがその頃の正直な気持ちです。

沙也加さんは、ご自身のスタイルブック「Dollygirl」(宝島社)にて、そのように回想されています。

もし沙也加さんが子どもの頃に歌手になりたかったとして、聖子さんがどのようにお考えになられたか、それは所詮たらればの話なのでわかりません。

また沙也加さんは、実のところ、アニメやゲームが好きだったからか、むしろ声優になりたかったといいます。22~23歳の頃には声優の学校にまで通われています。

「○○してはいけない」――幼い頃に刷り込まれた「禁止令」には、一生人生を支配されることも

このエピソードで、私が着目したいのは、実際のところ、当人(子ども。娘である神田沙也加さん)の意志がどう育つかなどを見守る前に、大人が先まわりして、偉大な歌手である母・聖子さんと、むしろ周りの大人がこの幼い時点で比較し、目を摘もうとしたことにあります。

「○○してはいけない」――幼い頃から刷り込まれていく命令(「禁止令」と心理学用語では呼びます)の影響は甚大で、それは15歳の沙也加さんが歌手デビューを、自分に許されるものとして受け止めるのが困難であったように、長く人の人生を支配します。

幼い頃に刷り込まれた「禁止令」から逃れるのは、相当困難なことで、一生その人の人生に付きまとうことも、決して少なくありません。

「心配」を傘に着て行われる社会による呪いの強化

私、麻生マリ子は、池内ひろ美(Girl Power代表理事、夫婦・家族問題コンサルタント)とともに「母の呪い」という問題提起を行っていますが、麻生は、これを(実在したかどうかすらわからない)「母の呪い」を「社会」が強化した事例、と考えます。

仮に「歌手になってはいけない」という「母の呪い」を、母・聖子さんが、娘・沙也加さんにかけていたとして、それを周りの大人が、社会が強化する必要性が、果たしてあったでしょうか。

こうした「社会による呪いの強化」は、多くは「その子を案じて」「心配」を傘に着たかたちで行われます。

たしかに松田聖子さんほどの歌手であり女性であるかたの「息子」ならばいざ知らず――息子ならば、異性ということで、当人たちも社会も「別物」として認識しやすいからです――「娘」として生まれた。たしかに生まれもって大きな十字架を背負っていたといえるかもしれません。周囲の心配も、十分に理解します。

ただ実際、沙也加さんは、ご自身で声優を夢見て学校に通われ、その後、「アナと雪の女王」のオーディションをご自身で受け、見事、皆さんご存知の「母にも(社会が強化した「呪い」にも)左右されない成功」を、自らの手で収めていらっしゃいます。

母娘、家族にしかわからないことがある

そして、2014年末の紅白歌合戦(NHK)で、アナ雪の主題歌「Let it go ありのままで」を伸びやかな歌声で披露した沙也加さん。それを見守り、涙した松田聖子さん。

その涙が、いくら「聖子ちゃん泣き」と揶揄されようとも、胸に去来していたものは、聖子さん、沙也加さん、お二人にしかわかりえません。

母娘のことは、母娘にしかわからないのです。家族には、その家族にしかわからないことがたくさんあります。それをたとえば近い親戚や知人などが、求められてもいないのに出過ぎたことを言うなど、土足で踏み込むような真似をするのは、無粋というものです。

紆余曲折があったとしても「見守る」「(本人の気付きや力を信じて)待つ」のが大人の役目ではないか、とときに感じます。

沙也加さんには、波間をもがき浮き沈みながらでも、こうして自らの手で成功や幸せを掴みとる力が十分に備わっていたのですから。

いま幸せの絶頂にいる神田沙也加さん。夫の村田充さんは、もしかすると、彼女の過去背負ってきたものを受け止め、浄化してくれた存在なのかもしれません。

神田沙也加の結婚と松田聖子の対応に見る母娘関係

■神田沙也加さんのハワイ結婚式・結婚披露パーティー開催! 囁かれる聖子さんとの母娘関係は?

神田正輝さんと松田聖子さんのひとり娘で、歌手の神田沙也加さんが、4月に俳優の村田充さんと結婚を発表。ハワイで挙式をし、この週末5月13日には、日本で友人を中心としたパーティーが開催されたといいます。

ここにきて、さまざまな憶測を呼んでいるのが、母である松田聖子さんの対応です。

結婚発表後に初々しい二人とのスリーショットが公開されたり、ハワイ挙式に参列した、父・神田正輝さんとは対照的に、母・松田聖子さんはこれまでいっさいコメントすることもなく、沈黙を貫いています。このことから「沙也加さんは母・聖子さんに結婚を報告していないのでは?」など、母娘の確執が噂されています。

■「ママ」大地真央さんは参加した結婚披露パーティー

なお友人中心とはいえ、5月13日の結婚披露パーティーには、沙也加さんが「ママ」と呼んで慕う大地真央さんも参加されています。

実は一時芸能活動を休止して、飲食店でのバイト生活を送っていた沙也加さんは、そのまま芸能の仕事をやめてバイト先で正社員になろうと考えていたといいます。それを「もったいない」と、自らの主演舞台で共演しないかと誘い、芸能の道に引き戻してくれたのが大地真央さんでした。沙也加さんは「大地真央さんとの共演が、私の第二の人生のスタートだった」と振り返っています。

血縁の実母でない女性を「ママ」と呼んで慕う――そんな心理は一般には理解し難いものかもしれません。

しかし、もし「お母さん」とのあいだの愛情なり心の通い合いなりが十分でなかった女性が、ほかに「ママ」を求める――そんな心理は、実は一般によくあることです。

■聖子さんの海外進出、再婚間もない継父と二人で不慣れなアメリカで過ごした思春期

また沙也加さんはご自身のスタイルブック「Dollygirl」(宝島社)で、中学時代、慣れないアメリカで、母・聖子さんの再婚間もない継父と過ごした時間の戸惑いなどについても述懐されています。

沙也加さんが中学生になった頃は、ちょうど聖子さんが海外進出を目され、さらに再婚もされた時期。当初は高校まで日本でエスカレーター式の学校に高校まで通う予定だったところが、中学入学直前で聖子さんの仕事の方向性が転換したことで、沙也加さんは、日本と海外を行き来し、転校も4回して、中学時代にはつらい記憶しかなかったといいます。

当初、一度は日本の中学校の寮に入るも苛烈ないじめに遭い、退寮して、親戚宅から通うも、それもつらく通い続けられなくなってしまったという沙也加さん。

 その後は、母親のいるロサンゼルスの学校に編入しました。英語も最初は全然分からないし、周りにもとけ込めない。母親がコンサートツアーやディナーショーで長期間家を空けることも多くなって、日が浅い継父と一緒に過ごすことも難しくて。だから、アメリカの中学と交換留学制度がある日本の中学校に再び編入しました。母親が長期の仕事があるときだけ日本に戻るっていう。

聖子さんと沙也加さんの母娘関係について、いま噂されているのは憶測の域を出ませんし、聖子さんがコメントされない真意も、沙也加さんが聖子さんを結婚式に招かれたのか否か、結婚報告をされたのか否か、――真相は私たちには知りえません。

■恋愛、結婚、妊娠、出産――女性としてのターニングポイントが、母娘の歪みを表出させたり激化させたりするときに

しかし、一般的に「女性としての人生のターニングポイント」――恋愛、結婚、妊娠、出産、子育て――といったときに、母娘の確執が激化したり、それまで自覚されていなかったり表面化されていなかった母娘関係の歪みが表に出る、ということは、よく見られることです。

なぜなら、そうしたときは、娘はあらためて「ひとりの女性」として、母という人のこと、自分のこと、そして母と自分との関係を見つめ直す機会になるからです。

■DVやモラハラ体質の男性の嗅覚に引っかかるリスクも……

ただ、沙也加さんの例でいえば、たとえ血縁の母ではなくとも「ママ」と慕い、結婚パーティーに参加してもらえる女性・大地真央さんや、離れて暮らしてきたとはいえ、若い二人を心から喜び祝福する父・神田正輝さんの存在は、大きな救いになることでしょう。

それすらない、後ろ盾となるものがなにもない女性の心細さは、想像するにあまりあります。

そんなふうに育った場合、悪くすると、DVやモラハラ体質の男性は「愛されて育っていない」「愛に飢えて育った」女性を見抜く嗅覚に長けていますから、彼らからターゲットにされる危険性すらあります。

これは、たとえ実際に血縁のある両親が揃っていたとしても、そこに通う愛情が希薄であれば、悲しいかな、おなじことが起きてしまいうるのです。

男性は「父親に愛されて育った」女性の向こうに、その“父親の顔”を見ます。「この子を泣かすようなことをしたら、あのお父さんが……」と思うと「彼女を大切にしなければ」という思いに、いっそう気を引き締めるものなのです。

もちろん、それがなくとも、女性を大切にできる男性が多数ではあります。ただ無意識にでも「父親に愛されていない女性をナメてかかる」男性が実在するのも、悲しい事実です。

■母も娘も「ひとりの女性」だからこそ

話を戻しましょう。

女性としての人生のターニングポイントを契機として、母との関係に、あらためて向き合ってみて、それまでとはまったく違うことに気付いたり、あるいはそれまで認識していたことを、より深めたりする女性は少なくありません。

それは、ひとえに、母も娘も「ひとりの女性」という存在であるから。母については「(か弱き)ひとりの女性(にすぎない)」ことに、娘が気付く、と言っていいかもしれません。

ただし悲劇的な面・ネガティブなことばかりが近年クローズアップされがちですが、決してそれだけではないこと。女性としてのターニングポイントだからこそ見えてくることで、より自分が女性として成長できることだって多いのだ、ということを強調して筆を置きたいと思います。

波瑠「あなそれ」主演は大失敗?

「あなたのことはそれほど」ネットで大不評

「登場人物がみんなクソ過ぎる」ということでネットで大批判を浴びているドラマ「あなたのことはそれほど」(TBS系火曜22時。以下、あなそれ)。波瑠が演じる渡辺美都と鈴木伸之演じる有島光軌の不倫を軸に展開されるドラマだが、従来の不倫ドラマと違って不倫関係にある二人に罪悪感も後ろめたさも全くない。

主人公の美都は占い師から「二番目に好きな人と結婚すれば幸せになれる」と言われ、渡辺凉太(東出昌大)と結婚するが、飲み会の帰りに偶然、中学・高校の時に好きだった有島光軌と再会。たいした葛藤もなく二人は不倫関係に。そして温泉旅行に行く。二人で露天風呂に入って夜空を眺めながら幸せをかみしめる美都だが(この時点ですでにかなりクズ)、部屋に戻って愛し合おうとしたその瞬間に光軌の携帯が鳴る。慌てて帰ろうとする光軌。そして、美都にこう告げる。

「子供が生まれた。奥さん、出産のための所沢の実家に帰ってたんだ」

普通なら衝撃のセリフだが、美都は、「大丈夫。私も結婚してるの」とのたまい、結婚指輪をはめてみせる。

すると光軌が「なんだ、よかった」と笑う。

ほとんどの視聴者はここで「よかった〜じゃねーだろ!」とテレビ画面に突っ込んだと思うが、このような二人の不倫の在り方がクズ過ぎると批判を浴びているわけだ。主人公にまったく共感できないという声も多いようだ。

そのため視聴率も初回11.1%から第二話9%へと急落。第三話は9.5%と上げたが一桁台が続いている。

あまりの不評ぶりに、主演の波瑠自身が「私も主人公に共感はできないが、これも仕事だからしょうがない」という主旨のツイートを投下。「波瑠って意外と武闘派」というヘンな評価も得てしまった。

実は不倫ドラマではなかった!意外な展開?

というわけで、あまりの不評に視聴率も低迷するこのドラマだが、回が進むにつれ違った評価を得て話題が盛り上がっている。実はこのドラマ、不倫ドラマではなく恐怖ドラマだったのだ。

妻の言動に不信感を持った夫の凉太はついに美都の不倫を発見するのだが、回を追う毎に凉太役の東出昌大の演技が狂気を増していく。

昨日放送された第五話の最後、美都と凉太は結婚記念日であり美都の誕生日でもある記念日に、オシャレなレストランで食事をする。そして、食事をしながら「美都が不倫していること」を知っていると告白する。そして、動揺する美都に対してこう言い放つ。

「みっちゃん、僕はこの先どうあろうと、今の君がどうあろうと、ずっと君を愛する。大丈夫なんだ。ずっと変わらず君を愛することができるよ」

「誓うよ。これが僕のプレゼントです」

笑顔を話すが目は笑ってない。あまりに怖い誕生日&結婚記念日のプレゼントだ。まさにサプライズ!

この東出昌大の演技にはすでに「平成の冬彦さん」の呼び名も高まっている。

冬彦さんとは、今のアラフィフ以上の人ならご存じかと思うが、かつて25年前)にTBSで放送されたドラマ「ずっとあなたが好きだった」で佐野史郎が演じた狂気のマザコン男=桂田冬彦のこと。この時の佐野史郎の演技は怖すぎる怪演として日本のドラマ史の伝説になっているが、今回の東出昌大の演技はそれに匹敵、あるいは超えるかもと期待が高まっている。

というわけで、当初は「主人公がクズ過ぎる」「共感できない」と不評だったこのドラマも、不倫ドラマからホラーへと様相がかわるにつて注目度が上がってきている。視聴率も第四話で9.9%まで回復。次回は二桁に届きそうな勢いだ。

余談だが「ずっとあなたが好きだった」では最終盤のクライマックスで冬彦さんが妻の美和に向かって「ずっとあなたが好きだった」と言うのだが、「あなそれ」の終盤でもこのセリフが出てくるのでは? と思わせる伏線も張られている。というか、僕らの世代からすると、ぜひこのセリフを「あなそれ」でも登場させて欲しい。

というわけで、この先の展開次第では内容的にも話題的にもかなり期待できそうな「あなそれ」だが、どうにも気になることがある。それは、波瑠がなぜこの役を引き受けたか? である。

波瑠がこの役を引き受けたのは失敗?

ハッキリ言って、波瑠にとってこのドラマは得るものはほとんど何もないと思う。仮に恐怖ドラマとしてこの先、大ブレイクしたとしても、そこで話題になり人々の記憶に残るのは(たぶん)東出昌大の怪演であり、東出が怪演すればするほど波瑠の存在感は薄まる。

波瑠と言えばご存じ「あさが来た」で大ブレイクして、高視聴率女優のイメージが強いし、女性人気も高い。が、しかし「おかあさん、娘をやめていいですか?」の平均視聴率は5.7%。金曜22時枠でのこの数字は大惨敗だ。ちなみに「世界でいちばん難しい恋」は12.9%でこれはコメディ。「太陽と北風の法廷」は12%で、これは弁護士の法廷ドラマで活躍劇。こうしてみると、波瑠にはドロドロの役は似合わない、というか視聴者は求めてないように思える。視聴者は波瑠に対してはやはり、颯爽としたものを求めているのだろう。

そんな波瑠がなぜにこんなドラマの主役を引き受けたのだろう?

もちろん、本当の理由は本人にしか分からないが、一般的には二つの理由が考えられる。

基本的に表現者は、自分の表現の幅を拡げようとする。その理由が二つあるということだが、ひとつは自分の可能性への挑戦。もうひとつは不安だ。

ある役者が当たり役を演じて作品も大ヒットすると、どうしてもその役のイメージが付いてしまう。冬彦さんの佐野史郎もそうだし、半沢直樹の堺雅人もそうだ。堺雅人も達者な役者で数多くのドラマ、映画に出演しているが、半沢直樹以降はどうしてもそのイメージがつきまとう。ソフトバンクやスカパー!のCMも半沢直樹のイメージを重ねて視聴者は見てしまう。米倉涼子も、どうしても大門美智子のイメージがかぶってしまう。

そうなると、まともな役者(表現者)なら、「それしかできない役者」だと思われたくないという気持ちになる。また、それしかやってなければ視聴者に飽きられてしまうという恐怖心もある。

これは音楽アーティストも同じで、大ヒットを出した後、まったく違う方向性のアルバムを作って大ゴケするアーティストもけっこう多いが、このような心理が働くからだ。

人気を維持するという意味では、大ヒットを出した、当たり役に恵まれたとなれば、ファンが飽きるまでそれを繰り返すほうが得策なのだが、意外とこれは難しい。

波瑠も「あさが来た」でブレイクしてから1年以上経ち、そろそろそのイメージから脱却したかったのかもしない。役者としての幅を拡げる意味でも。しかし、僕らか見れば、それはまだ時期尚早だったと思う。波瑠は今の若手女優の中でも独特の空気感を持った女優なので、もっともっとその独自性を活かすべきだと思う。演技やイメージの幅を拡げるのはその後でも遅くない。

とうか、偉大な役者というのは実は達者な役者のことではない。高倉健さんはなにをやっても高倉健だし、吉永小百合さんはなにをやっても吉永小百合だ。偉大な表現者とは偉大なマンネリのことでもあるが、実はそれができるだけの才能はそうではない。しかし、波瑠にはその資質はあると思う。次回作以降は、自分の特性を活かして、それを進化(深化)させる方向で役者として成長して欲しいと願う。

東出昌大に対抗できるキャラは誰?

ところで(さらに余談だが)、「あなそれ」が今後ブレイクするには、東出昌大の怪演に加えて、怪演サブキャラが必要となる。「ずっとあなたが好きだった」で言えば、冬彦さん役の佐野史郎の怪演に加えて、母親役の野際陽子の怪演も際立っていた。この二人の怪演があってこそのブレイクだったと思う。

これになぞらえて言えば、「あなそれ」の場合は誰か? 個人的には美都(波瑠)の不倫相手の光軌の奥さん=有島麗華役の仲里依紗ではないかと思っている。原作ではどのような展開になっているか、読んでないので知らないが、ドラマではぜひ東出昌大と仲里依紗の狂気の怪演の絡みを見てみたい。仲里依紗はそれができる女優ではないかと思っている。